イスファハーン

さて、シーラーズからイスファハーン*1へ向かう道中で、数々の世界遺産を見て回ります。中でもペルセポリス圧巻!当時の栄華と荘厳さに圧倒されます。

 

 

巨大な柱を立てたり、

 

重すぎる石を隙間なくぴっちりと積み上げたり、

 

壁に施された彫刻の保存状態も良く、2000年以上前に造られたものとは信じがたい・・・すごいぞイラン すごいわペルシア
必見ですわ。ほんと。

 

あ、貢物を献上しにやってくる人々の中でたまに顔が後ろ向きなのは、後ろの人と話している様子だそうです。


世界中から人々が訪れては去っていく・・・思えばそのような歴史が何千年と続いていたんですな。異国の客人をもてなすことは、当たり前のように彼らの生活に刻み込まれているのかもしれません。みなさま、イランはおもてなしの国です。


いや、我々はただイスファハーン市内を歩いていただけなんですよ。なのに、なぜか特別にナッツ屋さんの店内に入らせてもらったり、パン屋さんの裏口から覗いていたらタダで直径60cm以上の焼きたてナンを頂いたり、現地の人しか知らないであろう隠れ家のようなカフェを案内してくれたり、伝統音楽楽器博物館の生演奏に聴き惚れたり、女子学生の集団から嬌声とともに追いかけられたり、若者の男性たちが追っかけてきて一緒に写真に写ってほしいと頼まれたり(イランではどうやら同性に対して話しかけることが多いようです)・・・例を挙げるとキリがありませんが、なんと温かい人の多いこと!嬉しいやら恐縮するやらびっくりするやら・・・国勢を考えると手放しで喜べないけど、一外国人旅行者としてはこのように手厚い歓迎を受けて感謝の気持ちでいっぱいです。

 

さて、そのような歓迎エピソードをもうひとつご紹介。

我々大相撲ファンにとって、イランの伝統スポーツでもあるズルホネ*2は外せません。ズルホネとは、歌と太鼓の音に合わせて、古代の武器を模した器具を使って行なうトレーニングです。相撲でいうところの土俵は女人禁制で、トレーニングをしながらDJと問答の掛け合いもおこなわれます。


カフェの筋骨隆々のおじさんにズルホネのことを訊くと、親切に道場の住所を書いて教えてくれました。そこへ向かおうとタクシーに乗り込みましたが、その時間はまだ道場が開いていないことに気がついた運転手のアリさんが、方々へ電話をかけ始めます・・・


以下は想像(英語でのやり取りが無く、ペルシア語だったため)

「あ、もしもし。あのな、日本人がズルホネを見たいと言うとるんじゃ。どこか開いている道場は知らんか?ワシ、もう中町の交差点まで来とんねん。」


「お、久しぶりやな。みのるはおるかいな。いや、昔ズルホネをしておったやろ?ちょっと道場について聞きたくてな。日本人観光客がズルホネを見たいいうとるけど、開いているところがないねん。なにぃ、今出かけているだと?どこや?わかった、ちょっとこれから寄ってみるわ。」


「あ、もしもし。あかんかったわ。旭区のスポーツセンターは子供の卓球しかしとらんかったわ。うんうん、そうか、ひろしが連絡してくれたんか。そりゃそうじゃ。急な話じゃけえの。わかったほなあと一時間で集めてくれるか?ジャポンにはそういうてみるわ。」

 

その頃、連絡を受けたズルホネ猛者の間では・・・


「はい、もしもし。せや今夜や。とりあえず二人は確保でけたんか。よっしゃ、誰が来てくれるって?おお、そうか、あの二人は慣れとるからいけるやろ。でもたかしはこの前問答を忘れよったからな。今回はあきらにリードしてもろたほうがええんとちゃうか?なにぃ、会長のまさきはんも出向くて?けどあのじさまもう80超えとるやろ?」


「おい、けどだ~れも英語話さへんで、どないするねん。お、そうか、よしおの息子のとおるがおったな。せや、あいつなら若いし英語喋れるやろ。え?残業?そんなもんうっちゃって通訳に来るように言わんかい!わしらの文化を見せるチャンスなんやぞ。」


「あとな、この前作ったさらの道着を着てくるようみんなに言うといてんかー?あの袖に国旗が入ってるやつな。もうDJのまさるが道場の準備を始めて煙を焚いとるらしいわ。ワシらも行かな、もうすぐジャポンがくるぞ。がんばろな、おー!」

 

1時間半後・・・
アリさんに無事ズルホネの道場に送り届けてもらい、お忙しい中急遽お集まりいただいたズルホネ関係者の方々に、精いっぱいのトレーニングをご披露いただきました。トレーニング中は戦士のような真面目な顔つきになり、絶対に視線を合わせてくれません(かわいい♡)。ハリのある良いお声と太鼓のリズムも見事で、会長さんも途中から棍棒を片手に参加されました。


ありがとう、みなさん。一生の思い出です。

*1:エスファハーンとも呼ばれます

*2:ズールハーネやズルハネと書かれることもあります

シーラーズ

ー前回の続きー

 

さて、無事入国できたのでタクシーを拾い、シーラーズ市内へ向かいます。今度来たときには運転してみたいので、後ろからこっそりイランの道路事情を窺っていましたが、イラン式運転マナーは難易度が高い!まずは車線を無視して割り込み、ギリギリの隙間に車を突っ込んでUターンができなければいけません。信号の無い所でも、歩行者が平気で道を渡ってくるのでキケン。やっぱり後部座席でええどす。それでも迫力満点だし。

 

でも道を歩いていても、意外とうるさくはないんですよね。隣の車と距離が近いけれど、クラクションはあまり鳴らさない。他人との距離は近いけど、思ったより静かに話すイラン人。あれ?運転に人の気質が表れるってほんとうかも・・・。

 

シャー・チェラーグ廟

入り口が男女別々に設けられていて、女性はチャドルを着てから入場。

煌びやかな内部ですが、この中に祀られてある棺に向かってお祈りします。

なんと外国人には無料でガイドさんがついて案内してくれます。親切なおもてなし。

 

翌日移動せねばならなかったので、駆け足での観光となりましたが、シーラーズで印象に残っているのは、やはり・・・おいしいごはんではないでしょうか!イランの家庭料理は最高ですわ。いや、ほんま。

ケバブ、炊き込みご飯(お焦げ付き)、茄子と卵とトマトの炒めたもの、風呂敷サイズのパン、レモンのお漬物、人参ジャム、各種チーズ、などなど。シーラーズ特有の炊き込みご飯もあって、とってもおいしい。とっても嬉しい。

もちろん、ティータイムにはお茶とお茶菓子が出てきます。

 

車は古いし、WiFiもつながりにくいのに、なんだか生活がとっても豊か。落ち着きます。なんだろう、この感覚。

 

シーラーズ近郊にある巨大遺跡ペルセポリス 

おっとっと・・・その前に

ワタクシYareyareの永住権のことを書く前に ぜひ!イラン旅行の様子を紹介させてくださいっ!


結論から言いますと、イランはほんっとうに とっても おススメです!

中東は今まで行ったことがなく、昨今の情勢をみても出立前は不安ばかりでした。イランへはビザが必要(後述)ですが、これを取得するにも実はいろいろあったんです・・トホホ

日本にお住まいの方は東京のイラン大使館を通して申請でき、外務省の海外安全ウェブサイトでもイランのほとんどの地域が危険レベル1。しかし、カナダにはイランからの移民が多いにも関わらず、2012年に両国の関係悪化に伴い在カナダイラン大使館が閉鎖され、現在カナダ政府のウェブサイトでイランは危険レベルMaxの「渡航回避」との表示が・・・。


それでも日本国籍だからいけるでしょ!と自分でビザ申請をしたら、イラン外務省からRejectの通知が来ました。なんでやねん!日本から合流する家族のはAcceptされたのにい!ふむー!


こうなったらぜっったいイランに入国してやる!と居住まいを正し、在カナダイラン大使館が本当に閉まっているのか確認のため電話をかけまくり、在米パキスタン・イラン大使館に泣き言のメールを大量に送り、カナダの自称イランコンサルタントに大金を請求されそうになり、ようやくイラン国内の旅行代理店に頼んでビザをゲットしたのが出発2週間前。ふぅ。しかしこれは、イラン入国時に本当のビザを受け取るための書類でして、最悪の場合まだ入国拒否される可能性があります。


こんな状況で心臓をバクバクさせながら、イラン・シーラーズ国際空港の入国審査に赴けば、
審「日本人は2週間以内の滞在ならビザがいりません。」*
Yare「え?いらない?ほんまにいらんの?」
審「イランよ」


今までの苦労はいったいなんだったんだぁー。
ま、とにかく無事に入国できました。入国審査官は強面のおっちゃんだったけど、話してみたらとても優しかったなあ。

 

続く

*2024年2月現在の話で、こちらの情報は変わる可能性があります。

 

シーラーズのナスィーロル・モルク・モスク(通称ピンクモスク、ローズモスク)

ふわあ

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。早2月です。おかげさまでわたくしYareyareは、寒さを楽しみつつ元気に過ごしています。

 
私が住むアルバータ州は、数週間前にマイナス30℃、40℃という極寒の日々が続きました。が!先日はなんとプラスに転じました。気温差が大きくてよくわかりませんが、どれだけ外がさぶくても、ちょっとの間なら外へ出られるんですね。ハハ

その日は図書館の駐車場から、軽装(といってもコートにジーパンとー5℃くらいならいける服装)で歩いていたら、数秒で脚全体がひんやりしてきました。厚手のヒートテックジーンズでも関係なく、きっと寒さで脚に赤い斑点ができているだろうなと考えながら、小走りですぐに屋内に入りました。動けていればダイジョウブ。

いやいや、外に出るときはちゃんとそれなりの服装をしましょう。ハイ。

 

さて、私事ですが、先日長年のストレスからようやく解放される出来事がありました。
なんだかねえ 自分でもよくわからないのですが、7年前に日本を出国してからここまでがむしゃらに走ってきて、それがやっと一段落した気がしたんです。


カナダの永住権の本申請を終えました。後はほぼ待つのみ。まだ永住権そのものは下りていませんが、とりあえずできるだけのことはやりました。学位に就活にそして今回の永住権・・・もともと移住が目的ではなく、博士号を取ることを目標としていましたが、気がつけばここまで来ていました。やり切ったという達成感よりも、ホッとしています。

 
次回はその経緯をちょっとシェアしようと思います(専ら自らの覚書のためです)

2024年になりました

すっかりご無沙汰してしまいました わたくしYareyareは変わりなく過ごしています 

昨年もご愛顧くださり 誠にありがとうございました 

 

明けましておめでとうございます
と書きたいところですが カナダのニュースでもトップで能登地域の大地震が流れました 
今朝起きると 羽田空港での事故をCNNが報道しています *1
年始早々 困難な状況に見舞われた方々にひっそりと思いを寄せようと思います

 

海外に住んでいても 住んでいるからこそ 日本で起こったニュースには敏感に反応します

日本にいても何ができるわけでもないかもしれませんが このような悲惨な震災や事故・事件が起こると ずっとソワソワしてしまうんですよね

 

しばらくソワソワします

*1:1月2日夜のカナダのニュースでも、羽田空港での事故がトップで報道されました

カナディアンロッキー

日本は猛暑のようですが、みなさま体調はいかがですか。カナダも30℃を超える日もあれば、長袖が必要なくらい寒い日もあり、わけわかりません。アタマガイタイ...Yareyareです。

さて、ワタクシが住むアルバータ州ですが、夏になると特別に賑わう観光地があります。そう、世界遺産でもあるカナディアンロッキーです!3000m級の山々が聳え立ち、その狭間には湖やら温泉やらヒグマやらがワラワラおります。なかでも有名なバンフ国立公園は、世界中から観光客がやってくるので、道路が混雑して大変・・・あ、いや、活気があります。

バンフは混んでいるので、もう少し近場のキャンモアという町へ行ってきました。綺麗な山々が間近で見えます。


気になる小道を歩いていくと

なんか橋が見えてきました。「キャンモア・エンジン橋」というようで、炭鉱のため1800年代後半に造られたようです。観光客に混ざって私もカメラをパシャリ。


下流をみると山


上流にも山


正面にも岩肌スッキリの山々と緑青色の川 

晴れてくると余計に緑色が映えて見えます。

なぜこんなに緑色なのか気になったので調べてみると、山脈のてっぺんにある氷河が岩肌を削ってこのBow川に流れ込むようで、削られた細かい岩肌の欠片が川の表面近くにあることで、光が反射して緑色がよく見えるようです。しらんけど*1

街中ではなんかフリーマーケットみたいなのをしていました。


おまけ:春先のバンフはこんな感じです。とってもきれい。



引っ越しのあれこれ②

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。日本は真夏日が続いているようですが、お変わりありませんか。

こちらでは山火事や竜巻に続き、先日(6月末)は雹が降りました。Yareyareです。

 

さて、だいぶ日が経ってしまいましたが、前回の続きです。い、いそがねば・・!

 

引っ越しが終わって、次は事務手続きの諸々。移民局や銀行、保険関係などなど、住所変更はほぼオンラインでできました。実際に出向かなきゃいけなかったのは、アルバータ州の運転免許証や、健康保険への加入くらいでしょうか・・・。ビシバシやっていきます!

 

カナダの健康保険は皆保険ですが、州ごとに加入する仕組みとなっています。

 

ー ここから余談です ー

留学生の間は、大学が用意してくれたUniversity Health Insurace Planに加入していました。昨年の秋に修了後、晴れて社会人となったときにオンタリオ州の健康保険に加入しようとしましたが、就労許可証の原本が無いと加入できないと言われました。

 

大学修了→就労許可証の申請→働き始める→就労許可証の申請結果(許可)が電子メールで通知→原本が郵送で到着

という流れで、許可証の種類やほかの条件にもよるかと思いますが、基本的には申請した時点で働き始めることは合法とされています*1。以前の記事にも書きましたが、就労許可の結果が出ていなくてもフルタイムで勤務して良いのです。

でも一就労者として皆保険に加入するには、許可証の原本が必要・・・仕方がないのであれこれ調べて、学生のときに使っていたUHIPを延長しました(はぁ、またお金が飛んでいく~)。しかし、就労許可証が待てども待てども届かず。ようやっと通知が来たのがアルバータ州へ引っ越す2日前。原本もオンタリオ州の住所に送られてきたので、それを大家さんに転送してもらって受け取ったのが1月末ごろでしょうか。

ー 余談終わり ー

 

今度こそは!と思い、原本を片手に意気揚々とアルバータ州の役所へ向かいましたが、

係員「できません。3か月待たないと加入できません。」 

なにぃぃー!

 

Yare「なんでですか?」と訊ねると

係員「うーん。アルバータ州の大学を修了したのならいけたかもしれないけれど、オンタリオ州の大学なんですよね?」

Yare「はい、そうです。」

係員「なんでオンタリオにいるときに加入しなかったんですか?そうしたらそのままオンタリオからアルバータ州へスライドして使えたのに。」

Yare「いや、原本が無いとダメと言われたんです。そもそも政府が許可証を出すのが遅れたからこうなっとるんです。わてのせいとちゃう。

係員「ふーむ。外国からカナダへ来たばかりの人だったら、加入が認められるものもあるけど、あなたがカナダに来たのは最近じゃないんですよね?」

Yare「へえ、3年前です。」

係員「だったらダメです。3か月待ちなさい。」

Yare「なんでやねん!オイコラ

の堂々巡り。

 

どうやら私は加入できないギャップ期間に運悪く当たってしまったようです。そなあほなー

 

なので皆保険といえども、一時的に加入できないことがあるんです。

そして周りの留学生の話を聞くと、卒業して就活中の間に健康保険が切れ、未加入のまましばらく過ごしたという話も珍しくないみたいです(あ、これも前書いたか)。でもこれ、けっこう落とし穴っちゅうか、問題やと思うんですよー。

 

仕方が無いので、民間の保険会社をあちこち当たりましたが、皆保険に既に加入していることが前提条件となっていたり、

試しに旅行保険を探してみても、もうすでにカナダにいるので該当しないと言われたり、

どうにか見つけたのがアメリカの会社。日本からカナダへの旅行保険として3か月間カバーしてもらえることになりました。ええのか?しらんけど

 

いろいろ心がザワつきましたが、おかげさまで3か月経った頃には国民健康保険に無事加入することができました。ふー。

 

雪道の高速道路でスリップせんくてよかったわ ほんま